8月23日は何の日か、多くの人は知らない。

70年前の8月15日の玉音放送で戦争は終わった。
日本が敗けた。その日のことだって、若い人には知らない人もいる。

私が子どもの頃、母は必ず8月15日にすいとんを作った。
「戦争に敗けた日本は広島でも長崎でも、そして沖縄、東京でも多くの人が死に、
焼け野原となった。食糧がなくて、みんなこういうすいとんを食べてたのよ。
あんな戦争を二度としないように、忘れないように、8月15日はすいとんを食べるのよ」
と言っていた母。

その母も私も、ソ連のスターリンが密命を出して、満州にいた日本軍人・軍属ら
60万人をシベリアに強制連行したのが「8月23日」だということは知らなかった。

だから8月23日に千鳥ヶ淵墓苑でシベリアで凍死・餓死した人たちの追悼を行うことに
なったのだが、零下40度の酷寒の地で故郷を思い亡くなった人たちを、酷暑の中で
追悼するのも皮肉なことだ。

私が毎夏、この追悼式に参加するようになって何年になるだろうか。

議員の時、シベリアに抑留され、なんとか帰国した人たちと知り合った。
彼らは戦友たちの遺骨収集と身元確認、強制労働への対価賠償や、
終戦後に連行された原因の究明を国にしてほしいと要求していた。

それに応えたくて250人以上の国会議員を集めて「シベリア議連」を
立ち上げ、会長になった。
そして、シベリア特措法を成立させたのが2010年夏。
長い間の努力がようやく実ったが、共に奔走し、官邸前のハンストまで考えた
同志の多くが世を去った。
今、シベリア抑留から帰国した人たちの平均年齢は92歳。
大阪から追悼式に駆け付けた池田幸一さん(94)は懇談会で、
「円さんの凄腕は並のものじゃない。彼女がいなかったらこの法案は成立していなかった」
とまで言ってくれ、「今の政界にいてくれないのが何とも悔しい」と。

一人の力でなく、多くの人の努力でできた法律だが、いざという時、官邸や官僚と
大げんかしたり、落ち込む人々を勇気づける案を出したり、そういうところでは確かに貢献した。
しかし、韓国や台湾の人々を含められなかったり、未整備な部分も多い法案だったし、
何より民間人なども多く拘留され、実態は未だにわかっていない。
6万人の死者の多数が未だシベリアのちにどこの誰と分からず眠っているのに、
厚労省のシベリア遺骨担当者はたった二人。

戦後70年とはいえ、シベリアで死んだ人たちの戦後は続いているのだ。

赤紙一枚で戦場で戦死した人だけでなく、戦後最大の拉致にあった人々の、
一人ひとりの尊厳に向き合わないと、私たちの戦後は終わらない。
ふたたび反省もなく、「国家のために」人が死ぬ時代にさせないためにも、
やるべきことはまだまだある。

元衆議院議員の石毛えい子さんと献花の前に
元衆議院議員の石毛えい子さんと献花の前に
シベリア抑留って?ふたたび「国のために」死ぬ時代にさせないために