富岡町は来春、2017年4月の帰還開始を目指している。その富岡町を「女性のための政治スクール」22期生(半数以下の参加だったが)と訪れた。
福島県双葉郡富岡町は浜通り地方の中央に位地し、太平洋と阿武隈山地との間に広がる自然豊かな温暖な地。震災前の人口は16000人。福島第二原発がある。

2011年3月11日14時46分、国内観測史上最大M9.0の大地震発生。15時30分津波発生。人々は町内の集会所や体育館に避難した。19時3分。福島第一原発で原子力緊急事態宣言が発令される。翌3月12日早朝、第一原発から10km県内に避難指示が発令され、私たちを案内してくれた図書館長だった小貫和洋さんも家族と共に町の両隣にある川内村へと避難した。ところが、その日の午後、第一原発1号機で、14日午前には3号機も水素爆発が起き、川内村から郡山市に小貫さんらは避難した。それから7年近く。すぐ戻れるものと思っていた人たちが大半で、着の身着のままで避難したらしい。

この12月16日、常磐線で東京を出発した私たちをいわき駅で迎えてくれ富岡町まで車で案内してくれた小貫さん、鈴木さん、稲元さんらの、「もし3年前に帰還が実現していたら、多くの町民が戻ったと思う」との言葉がずしっと重く響いた。

3年前に訪れた時、富岡駅は地震と津波で破壊されたままの姿だった。今回、電車が通るようになり、駅舎もきれいになった。しかし駅前にかつて存在した商店街はなく、町の中央通りの商店街はどんどん解体され更地になっていた。かつて何百人といた小学校も中学校も除染が終わり、来春の開校を目指し、修復が急ピッチでされていたが、教育委員の鈴木さんによれば、小中あわせて来春戻ってくる子は11人だという。
今現在、町内居住者は376人。いわき市在住者がもっとも多く5952人。鈴木さんも稲元さんもいわき市に住む。小貫さんも富岡に戻らず、今は東京だが、娘さんのいる横浜に移る予定だという。

もっと早く、富岡にはもう戻れないからと、近隣、つまり行政区毎にでも定住の地を県内のどこかに作れなかったものか、そういう決断を国がなぜしなかったのかと小貫さんは考えてしまうという。
何代も同じ地でくらし、公務員だろうが商店主だろうが、その裏庭で畑作をし、毎日の食卓にのぼるのは自分がつくった野菜であり、隣近所、助け合って生きてきた、そのコミュニティがなくなるのは、都会で「隣の人は何する人ぞ」といった社会に生きているものからは想像もつかないが、あの震災の後、別の解決方法がなかったのかと考えるのは私だけではあるまい。IMG_5814

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原発事故から7年近い富岡町を訪ねて