メールニュース前号を出した途端、「円さん、ご縁がありますね」と電話をもらいました。そのご縁とは「円さんの新しい事務所、番町ハイムは祖母の生まれ育った屋敷跡です」。その方の祖母とは「女性のための政治スクール」初代名誉校長加藤シヅエさんのこと。麹町で育ったということは聞いていましたが、この事務所の場所だったなんて!本当にご縁があると嬉しくなりました。

加藤シヅエさんは1945年4月10日に行なわれた第1回の衆院選で初めて我が国に女性の国会議員が誕生したその39人のお一人。

私は彼女に女性のための政治スクールを立ち上げるからと協力をお願いしに行ったのです。1992年のこと。この時、シヅエさんは既に96歳でしたがお元気で、「人口の半分は女性なのに、国会には女性が少なすぎる。円さんの言う通り、女性議員を増やすことに大賛成」と名誉校長になって下さったのです。

ところが、開校直前にシヅエさんは階段を落ちて大腿骨を骨折。心配していたのですが、すぐに手術してリハビリ。その後もずっとお元気で、元気の秘密は麹町の屋敷にあった(?)みたいなんです。

番町ハイムは四ツ谷駅まで5分とお知らせしましたが、その四ツ谷駅の向うはシヅエさんが生まれた当時は牧場があったそうで、毎朝そこから搾りたての牛乳が届けられた。「牛乳のおかげで骨も丈夫なの」と笑ってらっしゃいました。

牧場があった!!今じゃ想像できません。そしてシヅエさんの一万坪のお家の地下にはボウリング場もあったというんです。そのお嬢様が、夫となった侯爵と九州の炭鉱に行き、石炭堀の重労働をしている母親たちが自分の子どもを「このガキ!」と棒切れを持って追いかける姿を見て、「母性を発揮するには、女がまともに生活できなくては」と人々の生活改善や避妊等の運動を始めるのです。土間にござを敷いて寝るような生活の中、裸同然で長時間炭鉱で働き、家事をし、子どもを何人も生む――搾取されている貧しい女たちの生活を変えたいと彼女は思ったのです。

アメリカに留学し、マーガレット・サンガーに出会ったシヅエさんは帰国後、日本産児調節連盟を発足させるのです。満州事変が勃発し、生めよ殖やせよのスローガンのもと日本が戦争へとひた走っていった時代、シヅエさんの家の窓ガラスは非国民という罵声と共に石つぶてで破られたといいます。

そんなシヅエさんですが、再婚した加藤勘十氏が亡くなって一人ぐらしになってからも、お洒落でした。「若いときは素っぴんでいいのよ。でもね、年を取るときれいにしているほうが周りの人も気持いいでしょ?」とおっしゃってました。

一人ぐらしだとつい気儘に暮らしがちですが、シヅエさんを見習いたいと思うこの頃です。

 

四谷に牧場があった?