新型コロナウイルス感染者が出て大型クルーズの乗船者が下船できないらしい。不安を抱えながら「待つ」というのはきついだろうなと思います。

断捨離をしていたら未使用のエアメールの封筒が出てきて、昔は欧米の友人にエアメールで手紙を出し、届くのに1週間、返事が来るまで20日以上待っていたものです。今は瞬時に連絡ができる。

「待つ」という行為は技術の発展で激減したかもしれない。同じ「待つ」といっても、赤紙1枚で戦争に駆り出された父や夫を「待つ」ことがなくなったのはいいことです。でも、効率に追われて大事な「時間」を失ってしまっていることは大いにありますね。

「私の人生はずっと待つ人生だったわ」と言われたことがあります。8歳の娘からでした。「8歳」にして「私の人生は」と言うことに笑いがまず込み上げたのですが、もちろん、それはかみ殺しました。とても悲愴な顔をしていたからです。確かに、仕事仕事で、いつも娘を待たせ続けていました。猛反省しましたが、その後すぐ国会議員になり、それまで以上に娘を待たせ、ついに娘は「保護者会も授業参観も来なくていい」と宣言し、以来、私を「ママ」と呼ばなくなりました。

離婚女性のネットワークを主宰し、毎年、春と夏に親子合わせて50人くらいの合宿をしていました。母親が病気の時でも自分で作れるようにと子どもたちの料理教室を開いたり、サバイバル体験をしたりと、親の勉強中に子どものプログラムもいろいろ実施してきました。

 

「ねえねえ円さん、うちのお母さんってねえ、会社から帰ってきた時、ただいまーって言わないんだよ」「えーっ、なんて言うの?」「疲れたあーって帰ってくるの」「うちのママもそう」「うちも」「うちも」。私は言葉が出ませんでした。だって私も似たようなものでしたから。

2017年から3年続けて「ひとり親家庭の子ども対象の作文コンクール」で昨年は、18歳以上の人対象の部門も新設しました。その中の大学生が「経済的余裕がないだけでなく、母とのゆったりした時間、共に何かをする時間」がなかったことが本当に残念と書いていました。

この国会で、ひとり親家庭の貧困対策の改善に向け経済支援を強化するらしいし、別れた親からの養育費の少なさにも対処すると言いますが、多くの母親は子どもの勉強を見てやる時間だけでなく、身体を壊しても病院に行く時間もないのです。そういう現実をしっかり踏まえた対応が望まれます。

映画「家族を想う時」(ケン・ローチ監督)には、家族のためにとフランチャイズの宅配業者となって長時間働き詰めの父親とパートタイムの訪問介護ヘルパーの妻と二人の子どもの家庭が壊れていく様が描かれています。食べていくために働かなくてはいけない、でも、家族にとって、いえ、人にとって「時間」はとても大事…。昔、好きだったミヒャエル・エンデの「モモ」(時間どろぼうと、奪われた時間を人間に取り戻してくれた少女モモの話)を読み返そうかしら。

時間どろぼう