今の日本で1日のまともな食事が給食だけという子どもが驚くほど増えているという。その給食が、コロナ禍の一斉休校でなくなり、子ども食堂の多くも開所できなくなった。

給食というのは「学問の向上進歩を促すには」まず子どもの栄養改善が重要ということで世界各地で始まった歴史があるが、貧困家庭の子の自尊心を傷つけないよう、どの国も努力し、親の所得に関係なく全ての子どもに出すよう配慮してきている。

イギリスでは1980年代、サッチャーが給食関連予算をカットした結果、子どもたちの健康状態が悪くなったという。

「食べること」はとても重要なことという、当たり前のことが今回のコロナ禍でも見直されたのではないか。

とはいえ、働く母親にとって毎日の弁当作りは大変である。娘の中学は公立なのに給食がなく、毎朝8時からある国会の会議に出る前の弁当作りと、夜遅くまで仕事があり食材の購入にふーふー言っていた私にあきれた娘は「お弁当は自分で作る!」と宣言した。

「子どもの健康と学問向上に必須」と言われようが、楽しいキャラ弁を作るなんて芸当はできなかったから、手抜きの弁当に娘は愛想を尽かしたんだと思うが、「やった~!」と私は心の中でバンザイをした。一歳の時から包丁を持たせ、料理好きな子に育てた甲斐があったと思ったものである。

ひとり親家庭のネットワークを運営し、春夏の合宿に参加する30人近い子どもたちにはごはんの炊き方やみそ汁の作り方を教える料理教室をやり、店に食材も買いに行かせ、コンビニで買うより、お茶を入れて水筒を持つこと、おにぎりを作るほうが安いことを覚えさせた。

働く父母を助けて煮炊きをすることから、フードロスやエネルギー消費、農業に関心を持ち、種苗法を改正しようとしている政治やグローバリズムを推し進める新自由主義経済や気候変動にも関心が向ってくれるといいのになと思うのである。

しかし残念ながら我が国は、第二次世界大戦の戦死者のうち多数が餓死であり、旧日本軍は兵站を軽視していたと言われている。「戦争と農業」「給食の歴史」の著者であり、日本の食を調べてきた藤原辰史さんによれば、兵站の軽視が今も続いているという。我が国が「農」や「食」を本当に大事にする社会にしていく努力が今こそ必要だ。

給食と食べることの大切さ