でもね、私がこの玉川上水事件を他人に話せるようになったのは最近のことなんです。まず、襲われたことはとてもみじめな感情を呼び起こしたからです。

さらに、どんなに抵抗しても林の中に連れ込まれ押し倒された屈辱感もありました。警察に行ってから初めてストッキングが破れ腕も脚も擦り傷だらけになっているのに気づいたのですが、襲われた時の悔しさと恐怖感が事件の後、ジワジワと私の心に広がっていったからです。

父の顔を見ると初めて涙が出てきました。泣いて報告すると、
父は「本当にそれだけで何もなかったんだな」と聞きました。
「うん」
「そうか、良かった」
「良くないよ、腕も脚も擦り傷ができたし、あんな悔しいことない」
「そうだ、悔しいな。だけど傷ものにならなくて良かった」

『キズモノ?

そうか、父は未遂に終わって安堵したんだ。
「あとはお父さんが始末するから、もうお前は忘れろ。この話はしないほうがいい」
「どうして?」
「話を聞いて未遂に終わらなかったんじゃないかと邪推する男もいる。それにこういう事件は被害者の女の方がバカだと思われるんだ」

父はその後、警察からどういう男だったかの報告を受け、その男の両親にも会いましたが、未成年で初犯だったからということで、何も要求はしませんでした。

私は納得できませんでした。でもその男をぶん殴って済むものではないし、第一顔を合わせるなんて怖い。擦り傷の軟膏代、ストッキング代を貰ったってしょうがない。

向こうの親が「お嬢さんに本当に申し訳ないことをしました。息子には二度とこういうことをしないよう言いきかせます」
と父に謝ったと聞いたって、それで、ハイ終りという気持ちにはなれませんでした。

でも20歳になったばかりのその時の私には何もできなかったのです。そして、父の言う通り、私はずっとこの事件のことは心の中に封印していたのです。それは屈辱感をぬぐいきれなかったことと、加害者が報復するかもしれないという恐怖感があったからです。

ちゃんと立ち直って二度と女性を襲うなんてバカなことをしなければいいけれど、私がパトカーを呼んで警察に引き渡したことで、何のお咎めもなかったけれど、それで親子関係が悪くなり家出をしたり、見習いで働いていた職場を辞めさせられたりということがないとも限らない。それで逆恨みをして、また私を襲うかもしれないという恐怖でした。妄想逞しいと笑われるかもしれませんが、こういう事件があると被害者の方が後々まで屈辱感と恐怖感が残るのです。だから社会に出てジャーナリストとなって雑文を書き散らし、本を40冊近く出しても、私はこのことはどこにも書きませんでした。

その事件から20年近く経った時、有志の女性たちがボランティアで強姦救援センター(※1)を立ち上げたことを知りました。

第4回はここまで。
次回9月18日の「強姦罪は強盗罪より軽い?」 ⑤
vol.5 告発には勇気が」に続きます。

<脚注>
※1 強姦救援センター(現在の名称は、「東京・強姦救援センター」に改名されている)
1983年9月に女性たちによって設立された日本で初めての強姦救援センターであり、民間のボランティア団体。被害にあった女性のための電話相談を受け付けている。

 

 

 

 

 

vol.4 『強姦罪は強盗罪より軽い?』 ④「この悔しさは消えない」