「データマンに合格」

力道山の未亡人のお父さんはシャワーを浴びてサッパリしたいでたちで現われ、ひとしきり私にお説教。
「わしが君の父親なら、やくざな仕事になどつかず、教師になったほうがいいと忠告するな」と言うのです。
「人はな、肩書きや職業に貴賤はないのに、残念ながらそれで人を見る。ヤングレディの記者というとそれだけで軽蔑されたりする」私も黙っていません。
「職業で軽蔑するような人間がおかしいのであって、私はそんな人に軽蔑されても、気にしません」
「しかしそれが世間というものだ。それで強くなる人間もいるし、そんなことでは精神がまがらない人間もいるが、卑屈になる者もいる。君のような女の子はそんなところで苦労することはない」と。

でも彼は娘に、つまり力道山の未亡人に私の目の前で電話をかけてくれ「お前再婚するんだって」と笑い、「話を聞きたいとかわいい女の子が来てるから、今から行かせるからな」と約束までとりつけてくれました。

未亡人が住んでいたのは東京赤坂にあったリキアパート(※1)でした。伊勢原駅まで飛ぶように歩いて小田急線に乗り、赤坂のリキアパートにたどり着いたのはもう夕暮れでした。

「父にも言ったけど、そんな話残念ながらないわよ。どこから出たのかしらね。まあ、悪い話じゃないからいいけど」とK子さんは紅茶を淹れて出してくれ、「あの親父がわざわざ電話してきて会ってやれと言うなんてね」と優しそうな目で笑いました。部屋には力道山の写真があちこちに飾られ、息子さんと家族一緒の写真もあり、部屋中が力道山ワールドでした。「彼ほどの男にはもう巡り会わないと思うわ。再婚なんて、だから無いのよ」

赤坂と講談社のある文京区護国寺とはそんな遠い距離ではありません。それなのに私は、神奈川県警のいくつかの署をテクテク歩き、伊勢原まで足を延ばし、ずいぶん遠回りをしてたどり着きました。今だったらインターネットで力道山を調べれば簡単にわかるかもしれない。当時だって私がもう少し賢かったら、図書館で古い女性週刊誌を調べれば、未亡人や家族が有名なリキアパートに住んでいることがわかったのではないかと思います。

再婚話がとれなかったので、これでは不合格だわと思いながら翌日、未亡人に会うまでのいきさつを書いて講談社のTsuさんに持っていきました。

「再婚はなしか。じゃこの原稿はボツだ。しかし君の文章は臨場感にあふれている。生き生きして面白い。今日から事件班に入って仕事をしていいぞ」

第13回はここまで。
次回11月20日の「劣等生の就活」⑧
「vol.14 日本初の心臓移植手術」に続きます。

<脚注>
※0 データマン
ジャーナリストの中でも、特に記事執筆のために必要なデータ収集を専門とする人間のこと。

※1 リキアパート
力道山は戦後日本のヒーローだった。同時に力道山は、実業家でもあった。
プロレスで得た財を資金源として、力道山は実業家としても活躍する。
リキパレスはもちろんの事、昭和35年12月には赤坂にリキ・アパートを建設する。
地上6階、地下2階で当時最先端の設備をそなえたこのマンションは、のちの首相中曽根康弘氏などの著名人も入居する、高級マンションのはしりであった。
建て直されて今はリキ・マンションが建っている。

vol.13 『劣等生の就活』 ⑦「データマンに合格」