毎週必ず10本の取材企画書を作って編集会議に臨むことは前回書きましたが、それが結構きつい。その間、もちろん大学の授業にも出ていましたよ。そりゃあ代返を頼むことも多かったけれど。その上、取材にも行く、原稿も書くわけですから、一日36時間くらいの勢いで動いていましたね。21歳だったから、徹夜をしても平気だったんでしょうね。今じゃ絶対できません。
せっせと企画案を持っていきましたが、残念ながら余り通りませんでした。ではどういうものを取材していたかというと、大病をした人や障がいを持つ人が仕事で成功した物語とか、人道ものといったものを任されました。
とはいってもデータマンですから、最終原稿になるわけではないのです。ただ、アンカー(※1)という最終原稿をまとめる人が使いたくなるようなキラリと光る言葉というのでしょうか、それをどれだけ多く取材対象者から引き出せるか、アンカーがまるで見に行ったようにその情景等を描き出せるか等がデータマンの役割になるわけです。

私は取材対象者の言葉や心理を必死で逃さないように聞いて原稿に書き込む努力をしていましたが、編集者に原稿を渡し、レイアウトが終り、何字で原稿をまとめてくれとアンカーに渡すという工程の中で、しばしば編集者やアンカーから質問がきました。
「お~い、ちょっとこの人間はワイシャツにネクタイだったのか、Tシャツだったのか」
「何を飲んでたんだ?」私は取材対象者と2時間も話していたのに、ワイシャツだったのか、何色のスーツだったのか、髪は長かったのか等々外面に全く関心を持っていないことに気づかされたものです。もちろんそれからは会うとすぐメモしましたけれどね。

自分が取材した人に掲載紙を送るのですが、お礼のハガキがくることもあれば、非難の電話もありました。とても取材対象者と仲良くなり、話もいろいろ聞けたと思えた取材で、非難の電話がきたこともあります。「自分の言ったことと違う。ニュアンスが全然違うじゃないか。すごく傷ついた」というのです。私はその人になりきったくらいに気を入れて書いたのに、なぜそんなに怒られ非難されるのか悲しくなりましたが、取材者が対象にのめり込んで仲良くなったと思うことがそもそも間違いなんですね。書き手として未熟なことを十分認識し、客観的に対象者を見ないと、そこにギャップが逆に生まれて、非難や怒りを引き起こす。それに活字というのは一人歩きしてしまう。取材や文章は怖いものだとつくづく思いました。

当時、大卒の初任給が2万~3万円の時に、私は8万円以上の原稿料を稼ぎ、夜遅くなれば、文京区の護国寺から小平の津田の寮までタクシーを飛ばして帰るような生活をしていたのですが、そうした生活を楽しみ、傲慢になっていたのでしょうね。仲良くなったと思っていたのは私の方だけで上から目線がどこかにあって、障がいを持つ取材対象者を傷つけてしまったのかもしれない、私は取材者に向いてないのかもしれないと落ち込みました。そんなある日、編集会議に出向くと「今日からより子は出入り禁止とする」と言われたのです。

第17回はここまで。
次回12月25日の「劣等生の就活」⑫
「vol.18 出入り禁止」に続きます。

<脚注>
※1 この頃、ヤングレディのアンカーをしていたのは私を紹介してくれた渋澤幸子氏以外に平岡正明氏、立花隆氏、小中陽太郎氏らがいた。

vol.17 『劣等生の就活』 ⑪「活字はこわい」