ジャパンタイムズに入社した年、大阪万博(※1)がありました。アポロ13号(※2)が月に初めて着陸し、アームストロング船長(※3)が持ち帰った月の石が、アメリカ館で展示され大行列ができたんです。大阪万博といっても若い人は生まれてないもの、わかりませんよね。あの岡本太郎(※4)の太陽の塔が象徴でした。

私はプレスの腕章をつけて大行列の見物客を尻目に、プレス用の入り口からどのパビリオンにも自由に出入りできるので有頂天。自分の俗物ぶりをしかと認識しました。20代前半でこういう特権を味わうのは余りいいことではないかも。その後、ニコニコ離婚講座を始めた時、取材にくるジャーナリストの中には、自分は常に優先されて当然という傲慢な態度の人がいて、ボランティアのスタッフがよく怒っていましたが、私も気を付けないと傲慢さが出てきます。ジャパンタイムズは残業代もなかったし給料やボーナスも低かったけれど、22歳で黒塗りのハイヤーで取材に行けたりするわけですから。

私は運転手さんたちと仲が良かったので、後部座席に乗るのはふんぞり返るみたいで、後輩だからといつも助手席に乗ってました。運転手さんだけでなく、工場の印刷工さんたちと親しくなったのは、毎朝、食堂で一緒になるからでした。ジャパンタイムズはこじんまりとした家庭的な職場でもありました。

11時始業という、朝の弱い私にはぴったりの会社で、私は滑り込みセーフでタイムカードを押す。新入社員なのに15分くらい早く来て先輩たちの机の上をふくなんて心遣いの全くできないダメ社員で、その上、机につくと同時に新聞5紙くらいに目を通す。これは仕事のうちよなんて考えていたんです。生意気でしたねえ。

そして11時29分になると3階からダッシュで階段を駆け降り(エレベーターがなかった!)、1階のカフェテリア式の社員食堂に駆け込む。ぎりぎりまで寝ているので、これが朝昼兼用のブランチです。工場は夜も新聞を刷ったりしているわけで、丁度、勤務明けの工員さんたちの食事が始まる午前11時半が食堂の開業時間だったんです。

万博の取材は大阪に当時いた両親の家に何日か泊まって、そこから出かけていたので、父は喜んでいました。やっとまともな会社に入ってくれたと思ったんですね。ただ母は、私の早すぎる食べ方を嘆いていました。「ゆっくり食事もできないなんて新聞記者ってやっぱりまともな仕事じゃないわね」と。働いていたら早メシになるのは当然なんですけどね。

早メシを母に嘆かれた私ですが、国会議員になってからのこと、お昼に理事会とかあるのですが、お弁当が出る。みんな5分くらいで食べ終わって(ものすごい早さです!)会議に入るのですが、いつも私は食べるのが一番遅くて、みんなににらまれているようで喉がつまりそうだったんですよ。

第20回はここまで。
次回1月15日の「北欧との出会い」②
「vol.21 女の海外取材はNO!」に続きます。

<脚注>
※1 大阪万博
日本万国博覧会(にっぽんばんこくはくらんかい 英:Japan World Exposition)
1970年3月14日から9月13日までの183日間、大阪府吹田市の千里丘陵で、アジアで初めて開催され、日本で最初の国際博覧会。
「人類の進歩と調和」をテーマに掲げ、77ヵ国が参加し、戦後、高度経済成長を成し遂げアメリカに次ぐ経済大国となった日本の象徴的な意義を持つイベントとして開催された。

※2 アポロ13号
1970年4月11日、米中部時間13時13分ケネディ宇宙センター第39複合発射施設から発射された。2日後、電線が短絡し火花が散ったことにより機械船の酸素タンクが爆発し、飛行士たちは深刻な電力と水の不足に見舞われることになる。彼らは着陸船を救命ボートに見立て乗り移り、電力を限界まで抑え、飲料水の摂取を極力控えることによって無事地球に生還した。この危機への対応の鮮やかさにより、13号は「成功した失敗 (“successful failure”)」、「栄光ある失敗」などと称されている。
1995年「アポロ13」として、映画化された。

※3 アームストロング船長
ニール・オールデン・アームストロング
(Neil Alden Armstrong,1930年8月5日-2012年8月25日)
アメリカ合衆国の海軍飛行士、宇宙飛行士、大学教授。
人類で初めて月面に降り立った。宇宙名誉勲章を受賞。

※4 岡本太郎(1911年2月26日-1996年1月7日)
日本の芸術家。
1970年に開催された大阪万博のシンボル・タワー「太陽の塔」を制作した。
「職業は人間」「芸術は爆発だ」などの名言を残した事で有名。

vol.20 『北欧との出会い』 ①「プレスの腕章をつけて」