閑話休題。北欧とちょっと離れますが、戦後の公団住宅と水洗トイレについて。
洋式トイレの普及率の高い我が国。小学校で和式トイレに行けない子が多いんですってね。そこで少しずつ洋式に改装中とか。

つい最近まで、肥溜め式のお手洗いはトイレと言わずご不浄とか便所とか言っていて、家の縁側の端にあるのが普通でした。
夏の夜に怪談なんか聞いた日にはだから便所にいくのが怖かった。臭いをこもらせないよう通気のためだと思うけど、上の窓だけでなく、床のすぐ上にも小さな窓があって、そこからお化けが出るような、さらに肥溜め式だから、便器の下は真っ暗で、そこからにゅっと入道でも出てくるような・・・。

1956年にできた公団の団地で、水洗トイレが珍しかった。坐って茶ぶ台で食事という形から、食卓で椅子に坐っての食事スタイルに。冷蔵庫も氷で冷やすものでなく電気冷蔵庫になり、洗濯板とたらいから電気洗濯機に。洗濯物は4階建て団地の屋上に干していた。狭いけれど、当時はなかなかハイカラな庶民生活だった。

便所というのは臭くて恐いところというイメージが定着していました。
私が小学校の低学年の時、初めて公団住宅というものができ、そこへ私たち家族は入居したんです。
一世帯の年収がいくら以上だったのか知りませんが、とにかくある程度の年収がないと入れず抽選もあって、それに当たって入居できるというのは、父は当時32歳でしたから結構誇らしいことだったようです。

何より、水洗トイレにガスで沸かす檜風呂、そしてダイニングキッチンでテーブルに椅子で食事というライフスタイルに張り切ってました。
うちはごくごく庶民の家でしたから、それまで食事といえばちゃぶ台です。床の間には掛け軸がかかり、正月や祝日は門に父と日の丸を掲げる。庭に縁台を出して、すいかにかぶりついたり、たらいで行水をするのも夏の年中行事。

ところが団地では日の丸を立てられないし、仏壇を置く場所も神棚をまつる壁も、掛け軸をかける床の間もない。
代わりに、ピカピカの流しと調理台。氷をいれる冷蔵庫ではなく電気冷蔵庫に電気洗濯機。そして食事は椅子式。
多分、その頃から朝ごはんと味噌汁ではなく、トースターで焼いた香ばしいパンを食べ始めたように思います。おかずも母は途端に洋風に変えた気がします。
お転婆でスポーツ大好きの私は男の子の遊び友達が多く、下校時は5~6人の男の子が私とは方向が違うのに私のあとをついて家までやってくる。私ってけっこう人気者なんて内心鼻高々だったのですが、これが大いなる勘違い。時代の最先端だった団地の私の家を見たくて、みんなついてきていたんです。
一番のみんなのお気に入りは水洗トイレ。みんな順番にトイレを使ってました。そして食卓について、母の作ってくれたお団子ではなくホットケーキを食べる。団地の庭は広々としていて、鬼ごっこでも缶けりでもドッジボールでも何でもできる。暗くなるまで遊んでいて私たち子どもの天国でした。それにしても団地育ちの私はその後もずっと「ウサギ小屋」に住みつづけ、北欧へ行ってもアメリカでホームステイしても家の広さにあこがれつづけたものです。ところが育ちというのは恐ろしいもので、今や狭い家のほうが掃除が楽と思っています。

第25回はここまで。
次回2月19日の「北欧との出会い」⑦
「Vol.26 クリスマスの一人旅」に続きます。

vol.25 『北欧との出会い』 ⑥「大人気の水洗トイレ」