ニクソンショックのせいで、1ドル360円の固定相場が変わって少しづつ円高になり、私が3度目の北欧取材にでかけた1978年は1ドル200円でした。まだまだ航空運賃は高かったけれど、以前よりは海外に行きやすくなったんです。

ちょうどクリスマスを故郷で過ごそうという北欧の人々で羽田発スカンジナビア航空は満席。私のまわりは、隣がスウェーデン人、前後はデンマーク人、通路隣はノルウェー人という具合。見上げるばかりに背が高い人ばかり。並んでいると人の腰のあたりしか見えない。埋もれそうな感じって結構こわい!でも、みんな東京で働いていて、久々に家族に会えるからか、陽気で楽しそう。初めて会った人々らしいのに、離陸前から声をかけあい自己紹介。なんで日本人の女性がいるのかと思ったらしく私も仲間に入れられ、どこへ行くんだといろいろ聞かれました。

そのうち、隣のスウェーデン人クリステルと、ユッシ・ビヨルリンク(※1)(私の大好きなスウェーデン人のテナー歌手)の話やオペラの話、また江戸時代の研究をしていた私は江戸後期に来日して杉田玄白らと交流があったスウェーデンの植物学者ツンベリー(※2)の話で盛り上がったのです。
「江戸時代の日本とスウェーデンの交流のことまで知っている日本人は珍しいよ。大体、日本人ってスウェーデンっていうとフリーセックスの国というくらいの印象しか持っていないからね。君がそういう一人でなくてよかったよ」と皮肉屋の彼は言いました。

その彼は私がコペンハーゲンで降りる時、追いかけてきてストックホルムに来たらうちに泊まるといいと連絡先をくれました。「但し、クリスマスで母や妹が来るから部屋がないかもしれない」とも。デンマークでの滞在先は決めて日本を出発した私ですが、スウェーデンやノルウェーはいつ行くか、取材次第なのでその滞在先は決めていませんでした。

一週間後、ストックホルムの郊外にあるリーディンゲ(※3)の老人施設やまわりのコミュニティを取材すると面白いという情報が入り、私はホテルを予約しようとしましたが、ふと機内で隣席に坐ったクリステルを思い出しました。

別れ際に追いかけてきて、突然「泊っていいよ」というのはどういうことなんだろう。そんな言葉を真に受けて連絡してもいいものだろうか。全然女性としての私には興味がなかったみたいだから大丈夫とは思うけど(こういうのって勘でわかるんですよね)、通路をはさんだ隣席の2メートル近くある大男のノルウェー人はハンサムで陽気で、何かと私にちょっかいを出していたけど、そういうことに苦虫かみつぶした顔で分厚い学術書を読んでいて、最初の二時間くらい話もしなかった無愛想な男…。

まあ、電話だけでもしてみよう。街を案内してもらうだけでもいい。わかりやすい英語だったし知識人だったし…。

好奇心旺盛な私は「明日、ストックホルムに行くわ」と機内で隣り合わせただけのクリステルに電話を入れたのです。

第26回はここまで。
次回2月26日の「北欧との出会い」⑧
「vol.27 シェアハウス」に続きます。

<脚注>

※1 ユッシ・ビョルリンク
(Jussi Björling,1911年2月5日-1960年9月9日)
スウェーデン出身のテノール歌手。独特の品格、清澄な透明感、また輝かしさもそなえた美声で広く知られた。
1936年、ウィーン国立歌劇場とザルツブルク音楽祭でデビュー。1938年アメリカ・メトロポリタン歌劇場(メト)でロドルフォ(プッチーニ作曲『ラ・ボエーム』)を歌ってデビュー。国際的名声を確立し、その後欧米で活発な活動を展開するに至る。その中でも特にメトとのつながりは深く、1959年までメトの看板テノールとして活躍した。

※2 ツンベリー(Carl Peter Thunberg, 1743年11月11日-1828年8月8日)
江戸中期に来日したスウェーデンの植物学者、医学者。1775年8月にオランダ商館付医師として出島に赴任した。

※3 リーディンゲ
ストックホルム東部にある島。

vol.26 『北欧との出会い』 ⑦「クリスマスの一人旅」