シヅエさんのことは本で知っていました。1946年4月10日、女性が初めて参政権を持てた(※2)時の第1回目の衆院選で39人の女性議員が誕生した、その1人だと。

もうひとつは、「日本のサンガー夫人(※3)」と言われたこと。生めよ殖やせよと言われた時代に、女性たちに避妊方法を伝授した勇敢な女性だと。

まあ、どちらかというと歴史上の人みたいに思っていたんです。1~2度、シンポジウムで遠くからお目にかかって、失礼ながら、「ああ、まだお元気なんだ」と思っていた。

そのシヅエさんに毎月お目にかかることになるとは、いえ、それ以上に励まされることになるとは思いませんでした。1992年6月、細川護熙さんが作った日本新党(※4)結党に参加したことで、私は女性をもっと政治の世界にひきこむ必要があると思ったんです。女性は政治に関わりたいと思わないし、当選に必要と言われる地盤・看板・鞄(資金)もない。だから、女性たちで切磋琢磨して勉強して資質を磨き、ネットワークを作って支えあおうと考えました。

そして作ったのが「女性のための政治スクール」。私はその校長にシヅエさんになってほしいと頼みに行ったのです。

その時、シヅエさん96歳。

「それは素晴しい企画ですね。大いに賛同します。でもね、より子さん、私は自分では若いつもりだし元気だけど、校長をするにはちょっと年がね」とおっしゃり、娘のタキさんを校長にしてくれるなら自分は名誉校長として、元気な限り、スクールを盛り立てましょうと言って下さったのです。

その1ヵ月後、なんと、シヅエさんが脚のモモを骨折してしまった。スクールは新聞発表したとたん、日本新党本部のすべての電話が問い合わせでひっ切りなしに鳴るほどの大反響で、実に1400人もの応募があった。その開校日はシヅエさんが第1部で話すことになっていて、その開校日は1ヶ月後に迫っていた!

私は1400人にレポートを課し、その中から100人に絞る委員会を立ち上げたり、準備に余念がなかったのですが、シヅエさんがもし寝たきりになってしまったらと気が気ではありませんでした。

ところが、彼女はすぐに手術をし、1週間後には歩くリハビリを始め、開校式には、一応万全を期して車椅子でしたが参加し、しっかりスクールの意義と政治家の心構えを話してくれたのでした。

その半年後、私は参議院議員になるのですが、細川さんは総理になって、それまでのように毎日会って話ができるという状況ではなくなるし、衆院選で35人もの衆院議員と20人の都議会議員を抱えた日本新党の運営や、不思議の国のアリスのような国会での活動など朝から晩まで連日、難題続きで、クタクタでした。

そんな時、時間ができると私は目黒にあるシヅエさんのマンションにおじゃま。いつも彼女はお洒落でした。たとえばある日はチャコールグレーのタイトスカートに薄いグレーのカシミヤのセーター。首筋は抑えたピンク色のスカーフをやわらかく巻いて。もちろんいつも爪にはきれいなマニュニア。背筋はピンと伸びていて。

「いつもきれいになさって、お洒落ですね」
「より子さん、若い時はそれだけできれいだけど、年をとると、人様に不快な思いをさせないようにお洒落は必要なのよ。ただね、昔と違って時間がかかるのよ」

朝起きるとFENをかける。「音楽や英語のニュースを聞きながら、ゆっくり身だしなみを整えるの」

一人暮らしの彼女は、朝は、トースターでパンを焼き、たっぷりバターを塗り、コーヒーをいれて、冷蔵庫のつくりおきのサラダと共にテーブルに運ぶ。

「一人だからこそ、テーブルクロスもして、きちんときれいに食事をとらないとね」夫・加藤勘十さん(元労働大臣)が亡くなる前と同じ朝食のメニューだといいます。

一人暮らしの私はつい気ままにだらしない生活に堕してしまいがち。いつも見習わなくちゃと思ってしまう。

「昨夜は細川さんが国連で英語でスピーチなさったのを聞いていたのよ」

おおっ、では午前3時頃まで起きていたんだ! すごいなあ。とにかく勉強熱心だし、私がもう国会なんていやだと思ってシヅエさんのところに行くと「今日はなあに?」と笑っている。

産めよ殖やせよの時に、避妊具を作って、相談の手紙に返事で送っていたというシヅエさん。「売国奴」とどなって石を窓に投げつけられるのもしばしばだったとか。私なんかと根性が違う!

シヅエさんは100歳くらいまで中華であれフランス料理であれ、フルコースでちゃんと召し上がるほど、歯も骨も丈夫でお元気だった。「毎日、10個以上感動することがあるの」それが長寿のもとだったのかな。

 

<脚注>
※1 加藤シヅエ(1897年3月2日-2001年12月22日)
昭和期の女性解放運動家・政治家。東京都出身。女子学習院卒。婦人運動家のマーガレット=サンガーの影響を受け,女性の地位向上に尽力した。1946年4月の戦後初の総選挙(第22回衆議院議員総選挙)で当選し、日本初の女性国会議員の一人となった。娘はコーディネーターの加藤タキ。

※2 女性が初めて参政権を持てた
1945年12月17日の改正衆議院議員選挙法公布により、女性の国政参加が認められた(地方参政権は翌年の1946年9月27日の地方制度改正により実現)。1946年(昭和21)4月10日の戦後初の衆議院選挙の結果、日本初の女性議員39名が誕生した。

※3 サンガー夫人
マーガレット・ヒギンズ・サンガー(Margaret Higgins Sanger, 1879年9月14日 – 1966年9月6日)は、アメリカ合衆国の産児制限(人為的に受胎、妊娠、出産、育児を制限すること)活動家。子供をいかにして、何時産むかを女性自身が決定する権利についてのサンガーの思想は、初めのうちは熾烈な反対を受けたが、やがて人々と法廷の支持を勝ち取っていった。産児制限が広く行われるようになる道を切り開いた功労者である。

※4 日本新党
1992年に細川護煕氏が結成した政党。同年の参議院選挙で議席を獲得した。議員候補を公募で選んだり、女性の政治参加を促すためにクオータ制(党役員構成のうち、女性枠が20パーセントを下回らないという制度)を導入したり、女性のための政治スクールを開設するなど、既存の政党には無かった斬新な制度を取り入れ、無党派層の支持を得て躍進。平成6年(1994年)に解党した。

第55回はここまで。
次回10月1日の「めぐりあえた人たち」②
「vol.56 情熱の人―細川佳代子」に続きます。

vol.55 『めぐりあえた人たち』 ①「96歳のお洒落―加藤シヅエ」