インターネットもFAXも無い時代だった。学校の授業が終り、自転車で家へ帰るまで、その日に起きたできごとは、夕刊か夜のテレビニュースで知るしかなかった。

1993年に国会議員になってからも委員会で質問などしていると、委員会が終了するまでニュースに接することはできなかった。予算委員会だともちろん重大ニュースは秘書官が総理にメモを入れるので、こちらも何かあったと察しがついて、質問中でなければそっと席を立ち3階の委員会室から2階の国会対策の部屋に降りて情報をとったものだ。今じゃ、メールですぐにどこにいても情報が入る。

田中角栄元総理(※1)が亡くなった時は、メールなどない時で、家でテレビを観ていたのだろう、小学生の娘が国会で打ち合わせ中の私に電話してきて、「ママ、田中角栄が死んだって」と教えてくれた。

ジョン・F・ケネディ(※2)が暗殺された時は、私は高校生だった。

学校から戻って、自宅の門の郵便受けから夕刊をとると、「ケネディ大統領、暗殺される!」の見出しが飛びこんできた。「えっ、うそでしょ、そんな!」

「お母さん、大変! ケネディが暗殺されたって」と叫びながら玄関の戸を開けたのを覚えている。

その時5歳だったお嬢さんのカロラインさんが大使として日本に来るという。テレビで連日のように上院公聴会での彼女がとりあげられているのを見て、25年ほど前、彼女によく似た知的で美しい女性が、私に会いに渋谷の私の事務所に来られたことを思い出した。大統領の弟で、同じく暗殺されたロバート・ケネディ(※3)のお嬢さんだった。多分日米の女性の立場についての取材だったか、今でははっきりと思い出せないけれど、二人で話が盛りあがり、意気投合したことはよく覚えている。カロラインさんも、女性初の駐日大使として、知性・感性をフル動員して、日米の女性たちの活躍をリードしてくれるのではないかしら。

それはともかく、身近な人ではないし、会ったこともないのに、その死にショックを受けることは少なからず誰でもありますよね。

私にとって、最初のショックは中学生の時1960年の安保闘争(※4)で樺美智子(※5)さんが死んだこと。

父の転勤で私は香川県の高松の中学校に転校したばかり。それも転入の挨拶にいった2日後から欠席。大阪から引っ越しの間中、腹痛がひどかったけれど、とにかくもう10日以上休んでいるので、青白い顔で登校したが、その日からさらに激痛がきて、結局、虫垂炎と腹膜炎の手術で1ヶ月以上も入院し、1学期の大半を休むことになった。

東京では学生たちが国会に押しかけ、警官隊と衝突し、女子学生が圧死したというニュースに接したのはそんな時だった。

つぶれた盲腸のウミが腹膜にまでまわっていて、あと1日遅れていたら死んでいたと(まあ医者は大げさに言うから)言われたほどの長時間の手術で、退院後も両手と脚の両モモにリンゲルや輸血の注射針のあとがいっぱい残っていて(もちろんおなかの2つの傷あとは大きく痛むし)、歩くにも力の入らないやせてヒョロヒョロの私は、自分のことしか考えられない状況にいた。ところが樺さんという女子学生は私より9歳上とはいえ、社会のことを考え行動しデモ隊と警官隊の衝突で圧死した(!!)のです。そのことに大きなショックを受け、何日も寝られませんでした。私はこんな片田舎で、こんな風に力もなくぼーっとしていていいのかと、わけのわからない焦燥感を覚えたのです。自分のことや身のまわりの小さな世界だけを考えていてはいけない、そう思ったのです。

社会党の浅沼委員長が山口二矢という少年に刺殺された(※6)のもその年の秋でした。浅沼さんの刺殺ということもさることながらその犯人が17歳、やはり私より3歳上の同世代ということがショックでした。事の良し悪し手段はともかく、みんな同世代なのにこの社会のありようを身を挺して考えている、それなのに私は全然、外の世界に目を向けていないことに気づかされたのです。

その後、東京に父が転勤し、またもや東京の生活に慣れることに精一杯だった時に出くわしたニュースがケネディ暗殺。

この3つの事件、この3人の死は、少女時代の私にかなり大きなインパクトを与えました。私は子どもの頃、鞍馬天狗のまねをしたりチャンバラごっこが大好きで、次は宝塚の男役になろうとか海賊のドレイク船長になりたいと考えていたけれど、3人の死は、私の人生に対する考え方をかなり変えたように思います。

<脚注>
※1 田中角栄(1918-1993)
第64・65代内閣総理大臣。在任中に日中国交正常化や日中記者交換協定、金大中事件、第一次オイルショックなどの政治課題に対応した。政権争奪時に掲げた日本列島改造論は一世を風靡したが、後にその政策が狂乱物価を招いた。その後一連の金脈問題への批判によって首相を辞職、さらにアメリカの航空機製造大手ロッキード社の全日空への航空機売込みに絡んだ贈収賄事件(ロッキード事件)で逮捕収監され自民党を離党した。

※2 ジョン・F・ケネディ(1917-1963)
第35代アメリカ合衆国大統領。大統領就任時に43歳であったケネディは合衆国の歴史上、選挙で選ばれた大統領としては最も若い大統領であった。大統領在任中にピッグス湾事件、キューバ危機、ベルリンの壁の建設、米ソの宇宙開発競争など多くの歴史的事件に取り組んだ。1963年11月22日にテキサス州ダラスで遊説中に暗殺された。

※3 ロバート・ケネディ(1925- 1968)
ジョン・F・ケネディの実弟で、兄の任命により同政権の司法長官(1961-1964)を務めた。1963年に兄が暗殺された後、ニューヨーク州の上院議員選に出馬して11月に勝利したが、1968年に、民主党の大統領候補指名選のキャンペーン中に暗殺された。

※4 安保闘争
1959年から1960年、1970年の2度にわたり、日本で展開された日米安全保障条約(安保条約)に反対する国会議員、労働者や学生、市民が参加した日本史上で空前の規模の反政府、反米運動とそれに伴う政治闘争である。60年安保闘争では安保条約は国会で強行採決されたが、岸内閣は混乱の責任を取り総辞職に追い込まれた。しかし70年安保闘争では左翼側の分裂や暴力的な闘争、抗争が激化し運動は大衆や知識人の支持を失った。

※5 樺美智子(かんばみちこ 1937-1960)
安保闘争で死亡した東京大学の女子学生。昭和32年東大に入学後、共産党に入党。のち共産主義者同盟(ブント)に参加する。1960年6月15日の安保闘争のデモで全学連主流派が衆議院南通用門から国会に突入した際、警官隊と衝突して死亡した。

※6 社会党の浅沼委員長が山口二矢という少年に刺殺された
浅沼稲次郎暗殺事件。1960年10月12日、東京都千代田区にある日比谷公会堂において、演説中の日本社会党委員長・浅沼稲次郎が、17歳の右翼少年・山口二矢に暗殺されたテロ事件。

第57回はここまで。
次回10月15日の「めぐりあえた人たち」④
「vol.58 認知症問題の先駆者―吉川武彦さん」に続きます。

vol.57 『めぐりあえた人たち』 ③「ジョン・F・ケネディの暗殺」