樺美智子さんが亡くなったニュースに衝撃を受けた中学時代のことは前回に書きました。それから4半世紀が経ったある日、私の事務所に一人の精神科医が訪ねてこられた。

私はフリーのジャーナリストとしてたつきを得ながら、ボランティアでニコニコ離婚講座を月1回主宰し、ハンド・イン・ハンドの会という離婚女性のネットワークを作って会報誌を発行していた。そのため、全国からひっきりなしに、家族の問題を抱えた人たちから相談が絶えなかった。その精神科医は、全国の精神科医が集まる研修会で私に講演してほしいと頼みにこられたのです。

私は精神科医でも弁護士でもカウンセラーでもない、一介のジャーナリストだからと、一旦は断ったのですが、相談にこられる人たちのケースにはどういうものがあるか話してほしいと言われるままに話すと、「ぜひ、そうしたケースと、円さんなりの分析を話してほしい」とおっしゃる。

30年近く前のその当時、精神科医を訪れる人々の中に「境界」の人が数多く見られるようになったというのです。

「境界?」私には聞き慣れない言葉でした。神経症と精神病の境界領域の症状で、今では境界性人格障害として一つの臨床単位となっていますが、症状は非常に多彩で、私の相談ケースがその治療の参考になるかもしれないということでした。

その先生とは現代の家族のあり方や社会の支援、見えにくい家族内の人間関係など話がどんどん進み、気づいたら初めてお会いしたのに3時間近くも話していたんです。その中の極めつけは、樺美智子さんが死んだあの日、その先生は医学部の学生で、「女子学生が倒れた!」という叫びに飛んでいき、その子を担ぎあげてデモ隊の中をくぐり、車まで運んだという話でした。その時もがっしりした体格の先生でしたから、学生の頃は女の子を担ぐくらいへっちゃらだったでしょうね。その女子学生が樺さんだった。

この精神科医は吉川武彦さん(※)で、以来、私がやってきた電話相談の顧問としても活動を支えて下さり、本当にお世話になっています。

でも、何といっても、吉川先生に教わったのは今は認知症といわれていますが「ボケ老人」問題。そのボケた人の支援をしていた吉川先生の活動には頭が下がり、「ぼけ老人」に対して目が開かされたものです。

例えば、60代でぼけてきて、ごはんを炊くのに米をとかず水もいれずスイッチを押す、洗濯機にも洗濯物を入れない等々、単純な家事もできなくなった女性に対し、吉川先生は保健師さんと協力して、家族にも「ヘマをしたと怒らず、ひとつひとつやり方をもう一度教えてあげて」と。「根気がいるけど、そうすることで、ぼけた人もパニックにおちいらず、米をとぐことから始められるんですよ」と吉川先生。

先生の父上がぼけてきて、散歩に出たまま帰れないことが増えてきた時、先生が一緒に散歩することにした。ところが、みっともないからと杖をもたない父上がヨロヨロ危いので手をつないだら怒ってしまう。子ども扱いするなというんですね。「ぼけ老人とまわりは思うが本人は感情が繊細で誇りがある。その誇りを傷つけないよう工夫することが大事なんです」

今では認知症の研究も進み、介護保険もでき、ヘルパー制度もありますが、吉川先生ら多くの人の貢献でようやくここまできたんですねえ。でも高齢化がますます進む中、認知症と介護の問題はまだまだ研究も政策も充実させなければなりませんね。

<脚注>
※ 吉川 武彦 (きっかわ たけひこ)
1935年石川県金沢市生。精神病患者の社会復帰、老人や障がい者の社会参加をテーマに追求。千葉大学医学部卒業後、同大学院に進み、医学研究科神経精神医学専攻修了。国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所名誉所長などを務め、現在清泉女学院大学・清泉女学院短期大学学長。自殺の研究者としても知られる。「転勤・転居・転職」を趣味とし、履歴書はいつも書ききれないほどだという。

主な著書

「自殺防止―支え合う関係を創り出すことから」
(サイエンス社)¥1,890

「こころが若返る脳トレ―ダイバージェント・シンキング型記憶力・注意力・計画力トレーニング」
貫 榮一 氏との共著(騒人社)¥1,680

第58回はここまで。
次回10月22日の「めぐりあえた人たち」⑤
「vol.59 人生を変えた人―細川護熙元総理」に続きます。

vol.58 『めぐりあえた人たち』 ④「認知症問題の先駆者―吉川武彦さん」