1964年の東京オリンピック(※1)は金メダルをとった女子バレーなどに熱狂したものだけど、その時、パラリンピックも行われていたこと、ほとんど記憶に残っていません。

先日、テレビを観ていて、パラリンピック開催に多くの人が尽力し、バリアフリーが一般的でなかった東京では、選手を選手村から競技場に連れていくのに自衛隊が大活躍したとか、知らないことが沢山ありました。

そう、当時、この国では車椅子で買物するとか芝居に行くとかって人、ほとんど見かけなかったんです。バリアフリーという言葉も人口に膾炙していなかったし、障がいのある人のことにも無関心な社会だったような気がします。

子どもの頃、白い服を着て両脚の無い人や片脚片手を失った人たちが繁華街で傷痍軍人(※2)として施しを受けている姿をよく見かけました。

戦地から九死に一生を得て戻ってきたものの障がいが残り、働くことができないから施しを受けているらしく、戦争の深い地獄を見たからか目付きが鋭い人が多くて、その近くを通るのが気の毒という思いと同時に子ども心に恐いと思いました。

「本当に傷痍軍人かどうかわからない。施しを商売にしてる人も多いんだ」と大人たちは言っていたのが影響したかもしれませんが、見慣れぬものに対する本能的な恐怖心かもしれません。

そういう傷痍軍人も戦後10年を経った頃には街中で見かけなくなり、そして東京オリンピックの頃には、社会はどんどん変わっていました。

オリンピックから10年後、私は2度目の北欧旅行で車椅子の人が街中に多いことに驚いたんです。ストックホルムのカフェテリアで、鰊や鱈の魚料理や肉料理、スープ、サラダ、オープンサンドなど好きなものを選んでお盆にのせてレジまで行く行列の中に、車椅子の人がよくいました。誰も介助する人はいず、みんな一人で食事を選んでお盆にのせ、車椅子を操ってテーブルへ。すごい!と感心しました。

スウェーデン人の友人が、「障がいがあったって車を運転して職場にも行くし、結婚して子どものいる人も沢山いるよ。彼らが自立できるように車も街も職場もいろいろ手をかけてはいるけどね」と。
「ふーん、それにしても障がいのある人が多いのねえ」
「そんなことないよ、戦争とかがあれば別だけど、どこの国でも障がいを持って生まれてくる人の確率は似たようなものだと思うよ」

そりゃそうだ。バカなこと言っちゃった。戦争で障がいを持った人たちはどうしたんだろう。もう年とって死んじゃったのかな。いやそんなことはないよね。じゃあ、その人たちや事故にあった人、障がいを持って生まれた人たちは何故、日本では姿が見えないのか。

バリアフリーという言葉も考え方もない時代でした。日本ではまだまだ障がいがあることはみっともないとか家の恥と思われて、障がいのある人を隠す傾向があったんです。

21歳の時、女性週刊誌ヤングレディのデータマンをしていたこと話しましたよね。当時、障がいを持つ女性が詩集を出したとかで私に取材担当がまわってきました。

訪ねると山の手線内の高級住宅地の閑静なお屋敷。広い庭を通って離れにお手伝いさんが案内してくれ、「お嬢様に会っても驚かないでくださいね」と言うのです。

縁側から陽当たりのいい座敷に入ると、お嬢さんが坐っていました。座椅子にもたれて。驚かないでと言われた意味がわかりました。そう言われてなければ、ギョッとした顔つきをしてしまったかもしれません。その人は重度の脳性小児マヒで、まっすぐ坐ったり立ったりができず、腕や脚、そして首もくねくね曲がってしまう。本当に不謹慎な言い方で申し訳ないのですが、タコのようにからだが揺れるのです。生まれて初めて脳性小児マヒの人に出会った私は内心の驚きを隠すのに必死でした。

「いいのよ、驚いたって。私をみればみんな驚くわ。尋常じゃないんですもの。だから家族も私をこうして20年以上座敷牢(※3)に閉じこめているのだから」

彼女に出会ってから、そして北欧で多くの障がい者に会ってから長い年月が流れました。3年前に母が脳梗塞で倒れ車椅子生活になって、車椅子を押して散歩に出ることがあります。でも未だに日本ではバリアフリーの道や店が少ない。それでも1964年の東京でのパラリンピックが障がい者への理解を深める契機になったといえます。

2020年に東京オリンピック・パラリンピックがありますが、その時同時にスペシャルオリンピックス(※4)の世界大会も東京で開けないものでしょうか。

カロライン・ケネディ(※5)駐日アメリカ大使が来日されましたが、彼女の叔母さん、つまりお父さんのケネディ大統領の妹に知的障がいがあったのを家族で隠しつづけ外に出さなかったのを、その妹のユニス(2009年没)が大統領を説得し、障がい者を家や施設に閉じこめず社会が受け入れるべきだとし、屋敷を開放しスポーツを始めた、それが今の知的障がい者のための「スペシャルオリンピックス」として実現したそうです。

冬の世界大会を長野で成功させたのは細川佳代子さんで、その時、ユニスさんも来日しました。ぜひ2020年夏のスペシャルオリンピックスを細川さんとカロラインさんと、そして私たち日本国民で実現させたいものです。知的障がい者と共生できる社会の実現に向けて。

<脚注>
※1 東京オリンピック
1964年(昭和39年)10月10日~24日に日本の東京で開かれた第18回夏季オリンピック。1940年大会の開催権を返上した日本及びアジア地域で初めて開催されたオリンピックで、また有色人種国家における史上初のオリンピックでもある。歴史的には、第二次世界大戦で敗戦し急速な復活を遂げた日本が、再び国際社会の中心に復帰するシンボル的な意味を持った。

※2 傷痍軍人
戦傷を負った軍人のこと。戦傷は復員後も健康や生活に大きな影響をもたらす。傷痍軍人には早くに亡くなる者、生涯を通じて病や不自由に悩む人も多く、古くは古代ギリシャ時代から社会問題となっている。

※3 座敷牢
座敷牢とは、一般的には私設の軟禁(監禁の軽いもの)施設のことである。監獄などのような犯罪者収容のための施設ではなく、単に設置者ないし利用者の私的な理由によって対象を軟禁(監禁)するための施設である。大きな屋敷の一角、離れ、土蔵などを厳重に仕切り、施錠し、収容者が外へ出る自由を奪い、外部との関係を遮断させる仕組みとされていた。

※4 スペシャルオリンピックス
スペシャルオリンピックスとは、知的発達障害のある人の自立や社会参加を目的として、日常的なスポーツプログラムや、成果の発表の場としての競技会を提供する国際的なスポーツ組織。

※5 カロライン・ケネディ
アメリカ合衆国の弁護士、駐日アメリカ合衆国大使(第29代)。第35代大統領ジョン・F・ケネディの長女。

第61回はここまで。
次回11月26日「vol.62 <タイトル未定>」に続きます。

vol.61 『あぶない社会の到来?』②「オリンピック」