ようやく我が国もハーグ条約に加盟した。ハーグ条約って何?と思う人も多いと思う。国際結婚が年々増えているが、それに伴い、国際離婚も増えている。離婚話がこじれ子どもを連れて父、又は母が母国へ帰ってしまい、一方の親と子を会わせないケースが出てきている。

そこで子どもをどちらかの親が外国に連れ去った場合の取り扱いを決めたのがハーグ条約だ。

我が国が加盟に消極的だったのにはいくつかの理由がある。

ひとつは、外国で夫から暴力を受けて逃げ帰った妻たちの反対運動があったことだ。ハーグ条約では、一旦連れ去った子を元の居住国に戻すことになっている。そこで裁判等になる場合、まず、子どもと一緒に外国へ行く費用、裁判中のくらしの費用、弁護士費用を経済的弱者の母親が担えないという問題、さらに英語力のなさといった実用面での不利と、子どもも父親の暴力にさらされるのではないかという心配を持ち、ハーグ条約の加盟には反対していた。

もうひとつの大きな理由は、我が国ではそもそも離婚後はどちらか一方の親のみが親権を持ち、別れてくらす親との面会をするとか自由に行き来するということが少なかった。30数年前、私はニコニコ離婚講座というものを毎月1回、東京の表参道で開き始めたが、「ニコニコして別れることなんてありえない」と非難された。そうだからこそ円満に別れる必要性を説いたのだ。

相手を憎んで憎んで憎み倒して別れた場合、まず子どもを会わせまいとするケースが多い。

離婚講座は1979年3月から約20年間200回以上開催し、盛況期には毎回150人以上、新聞等が予告をしてくれなくなって以降は少なくなって30人という状況にもなったが、電話相談や、離婚後の女性たちの交流会「ハンド・イン・ハンドの会」の会員を含めると3万人以上の人の相談にのってきて、離婚が夫婦だけでなく親子の縁の切れ目になるケースが多いことに気づいた。そこで書いたのが「ママの離婚」 (筑摩書房 1995年1月)であり「離婚の子どもレポート」(フジタ 1985年9月)だった。

母親が暴力を受けて別れ、子どもも父親に恐怖心を抱いているケースはもちろんあったが、そういうケースでも父親に会いたいという子は多かった。ずっと母親や母方の祖父母から父親の悪口を聞かされ続けた子が成人して父親に会いに行き、わだかまりを解くのに時間はかかったが、互いに行き来するようになったケースもあった。

できれば親の側よりも子どもの気持を優先すべきではないか、子どもにとって両親が別れてもどちらの親も大事な自分の肉親であり、どちらの親からも愛される権利があるはずだ。そのためにも互いの人格否定までするような離婚は避けよう、離婚という選択しかないとしても、子どもにとってよりましな離婚があるのではないか、そう思って翻訳したのが「子どもが書いた離婚の本」(エリック・ローフス、円より子(翻訳) コンパニオン出版 1982年1月)だった。

第75回はここまで。
次回は4月29日に

vol.75 『子どもを育てるということ』② 「ハーグ条約加盟と離婚後の親子Part1」