「夫に好きな人ができて帰ってこないんです」
身をよじって辛そうな声をふりしぼった女性は妊娠6ヵ月だった。

「もう何度も中絶しようかって考えたんです。一人で育てる自信がなくて。でも迷っているうち、もう大きくなって。私が夜眠れなくて、『パパは帰ってこない。ママ一人じゃあなたと死ぬしかない』って言うと、私のおなかの中で動きを止めるんです。私の声聞こえてるんです、理解しているんです。一日中動かないんです。『ごめん、ママ一人でもがんばる』って言うと、少しずつ動くようになるんですよ」

そう、赤ちゃんはママのおなかにいる時からママやパパの声を聞いている。だからこそ失業や倒産で経済不安があったり、夫の女性問題で妻の精神状態が不安定になったりすると、胎児も影響を受けるので、できるだけ精神安定が大切なのだろう。

といっても人生、何が起きるかわからない。子どもを育てるということは、結構大変なことなんだよね。

ところが火事場の馬鹿力という言葉があるように、女は強い。妊娠すると、なぜか、何があったって自分一人ででもこの子を守ろうなんて気になってしまう。

冒頭の彼女もそうだった。結局、夫は浮気相手と一緒になるといって離婚届をおいて出ていってしまったが、彼女はそれを無視し、妊娠7ヵ月で通信講座での医療事務の勉強を始めた。

そして無事子どもを産んで1年後、子どもを保育園に預け、近くの医院で事務の仕事を始めたのだ。

「私と息子二人と家族になりたいって言ってくれる人ができて、夫と別れる決心がつきました。仕事で自信がついたので、仕事と家庭を両立させられるようにしていくつもりです」

ほほえむ彼女は美しく、出ていった夫がしまったと思うのではないかと思えたほどだった。

生殖医療技術が進んでいる。胎児の時に、異常があるかどうか調べることもできるようになり、たとえばダウン症だということで産むのをためらう親がいる。

障がいはひとつの個性であり、障がいを持っていても生きる権利があると思う。妊娠して人生の最高の喜びを感じたのもつかの間、胎児に障がいがあると知った親が悩むのを非難することもできない。

障がいのある子が生まれてもその親子が孤立しないで生きられる社会になっているか。普通学級で学び成人してもそれなりの職に就け、収入を得てくらしていける社会だろうか。そうした支えのない社会であるからこそ親となることを迷うのに違いない。

離婚相談の中には障がいを持つ母親の割合が多かった。

「私たちの家系にはそんな障がいの遺伝はないと夫とその親が言い、私と子どもを追い出したんです」

障がいのある子が生まれたことを受け入れられず、うろたえ、怒り、そして夫婦の関係も悪化して離婚に至ってしまう。人間はそれほど強くないのだ。親になる、子どもを育てるということは厳しいことなのだ。

出生前診断(※1)は私ならやらないと思っていたし、実際、妊娠中に羊水検査(※2)をしなかったが、私だって障がいのある子が生まれていたらうろたえたかもしれない。うろたえる人を責めることはできない。

でも中絶するべきかと母親が悩めば動かなくなり、身を固くしている胎児。胎児はママの気持を理解できるのだ。その胎児が、障がいがあるからといって産むか産まないかと親が悩んでいることを知ったらどんな気になるのだろう。

「がんばれ、ママもがんばるから」
そう言っておなかをさすってやりたいなと思うのは甘い考えにすぎるだろうか。

第77回はここまで。
次回は5月13日に。

<脚注>
※1 出生前診断
出生前診断(しゅっせいぜんしんだん、またはしゅっしょうまえしんだん)とは、胎児の異常の有無の判定を目的として、妊娠中に実施する一群の検査のこと。広義では文字通り「出産までに行う検査および診断」であり、狭義では「異常が疑われる妊娠に対し出産前に行う検査および診断」を指す。

※2 羊水検査
羊水検査(ようすいけんさ)とは出生前診断の一種。妊娠子宮に長い注射針に似た針を刺して羊水を吸引すること(羊水穿刺)によって得られた羊水中の物質や羊水中の胎児細胞をもとに、染色体や遺伝子異常の有無を調べる。妊娠15 – 18週とかなり胎児が大きく育ってから実施される。羊水検査で診断できるのは遺伝子など特定の異常に限られており、すべての異常が調べられるわけではない。 羊水検査による出生前診断は、かなりリスクが高い検査で、実際に生まれてから初めてわが子がダウン症だったと判明することも多かった。

vol.77 『子どもを育てるということ』④ 「胎児はママの声を聴いている」