前回、連れ子で再婚した人のケースや、出生時にとり違えられた子どもたちと2つの家族の物語である映画「もうひとりの息子」について書いた。そして、血のつながりももちろん重要だが、互いに親子として紡いできた時間や思い出が、血がつながっていなくても親と子の関係をつくっていくのではないかと書いた。

ところが医学と科学の発達が思わぬ事態を引き起こしている。

どうしても妊娠せず、その原因が夫にあるケースで、夫婦でもちろん話しあい、妻の卵子に全く他人の男性の精子を体外受精させ、その受精卵を妻の子宮に戻して子どもを産む。産まれた子は夫婦の子として育てられる。

日本の法律では、出産した女性が母となり、その時、婚姻していた男性は法的な父となる。そういうケースで産まれた子が既に1万人にのぼるといわれています。そしてその家庭では往々にして別の男性の精子をもらったことを生涯の秘密にしようと考え、子どもに真実を告げないことが多いらしい。また、精子提供者は匿名で、慶応医学部の医学生がうけおっていたらしいが、彼らも誰に提供されたか知らされないし、提供された夫婦も誰の精子をもらい受けたのかわからない。

以前からその話を聞いていて、まず思ったのは、提供者の側への疑問だった。自分の血のつながった子が産まれて、その子がどう育っていくか不安は感じないのだろうか。どこかで出会うことがあるかもしれないし、自分の血のつながった子どもたちが兄と妹なのに、他人同士として恋愛したり結婚して子どもを産むことだってありうると想像しないのだろうかということだった。

そして一番不安に思ったのは、他人に精子提供されて産まれた子どもが、ひょっとしてその出自を知ることだってあるかもしれない。その時自分の父親は誰なのか、自分の血の半分はどういう人間なのか知りたいと思うのではないか。しかし、その手がかりもないし、研究のためか人助けのためか、アルバイトで提供された精子で産まれた自分を肯定することができるのだろうか。深い苦悩を抱えるのではないかということだった。

自分の父親がわかっているケースでも、両親の離婚によって子どもたちは自分の血の半分の父親を、一緒にくらす母親が憎み恨んでいるのではないかと思い、その気持ちは自分まで憎まれているような思いにつながるのだという。

どんなに母親が子どもを愛していて精一杯育てていても、父親を喪失した深い哀しみは子どもから消えないのかもしれない。

精子提供を受けた夫婦だって、そのことを極秘事項にしつつ、授かった子を人一倍大切に育ててきたはずだ。育ての父親に似ていないところに、父母共に必要以上に過敏に反応し、悩みを出さないようにしてきたかもしれない。

ところが、ふと子どもに極秘事項がもれてしまう。

その子どもたちの中には悩みぬいて家を出たり、必死でかつての慶応医学部の学生の中から父親を特定しようとしている人もいる。

子どもの出自を知る権利、子どもの気持を大切にすることを優先すれば、ありとあらゆる進歩した医学を使ってでも「子どもがほしい」という気持を成就させるのは人間のエゴのようにも思える。

子どもの小さいうちに、隠さずすべてを話しておけば問題はおきないという調査も実際の例もあるらしいが、うーん、考え込んでしまう。

第79回はここまで。
次回は5月27日に。

vol.79 『子どもを育てるということ』⑥ 「精子提供されて産まれた子ども」