〜戦後強制抑留者問題解決促進議員連盟会長として〜

シベリア抑留問題とは

シベリア抑留とは、第二次世界大戦末期にソビエト連邦軍の満州侵攻によって生じた日本人捕虜約60万人(民間人、当時日本国籍者であった朝鮮人などを含む)を、ソ連が主にシベリアやモンゴルなどに抑留し、長い場合は10年以上も強制労働に使役した問題です。人類史上最大の拉致事件の一つです。

抑留者たちは、厳寒の地で満足な食事や休養も与えられず、苛烈な労働に従事させられたことにより、約6万人の抑留者の命が失われました。さらに帰国後も「シベリア帰り」として不当に差別・排除され、人権侵害を受けてきました。そして、強制労働の賃金も未払いのままになっています。

しかし、自民党政権はこの問題を放置し続けたまま、毎年約1割の元抑留者が他界し、現在生存者は約7万人程度とみられています。誰が見ても、不条理・不正な状態が続いてきました。

エリツィン大統領の謝罪

私が日本新党に参加し、国会議員となった1993年には、ロシアのエリツィン大統領が来日し、細川護熙総理に対して「非人間的な行為に対して謝罪の意を表する」と表明したものの、賃金支払いの請求権は日ソ共同宣言で相互に放棄していることから、その補償については日本政府が措置するほかなく、1997年の最高裁判決(抑留者が政府に対してシベリアに抑留されたことによって蒙った損害の補償を求めた裁判)でも、補償は立法府の判断に委ねられるとされました。

自民党政権の不作為と被害者軽視

ところが、その後政権を奪還した自民党政権は、民主党などが提出した抑留者を救済するための法案を否決し続け、抑留者の方々に10万円分の旅行券等を支給するという法律で全てを片づけてしまいました。手続きも大変面倒で、3ヶ月も待たされて80歳を超える抑留者の方々に送られてきた総理大臣の「交付状」は日付も総理の名前も入っていないお粗末なもので、憤慨された元抑留者の方々と一緒に私は官邸に抗議に出かけ、副官房長官を説得してきちんとした「交付状」を再発行させました。自民党政権では、早々とこの問題の幕引きが図られ、抑留被害者らは軽視されてきました。

鳩山政権の誕生と特別措置法の立法に向けて

しかし、2009年に民主党による政権交代が実現し、ようやく大変なご苦労を重ね、戦後を生き抜いてこられた方々に対し、社会全体として反省を示し、平均年齢88歳に達する被害者の方々に国として補償する責任を、政治が果たすことが可能になりました。

私は、「戦後強制抑留者問題解決促進議員連盟」を結成し、その会長として、谷博之幹事長ら同僚議員と共に、「シベリア特別措置法案」の成立に向けて当事者の方々や財務当局など、関係者との調整を進めてまいりました。

このたび、与野党が合意のもと、「シベリア特別措置法案」(正式名称「戦後強制抑留者に係る問題に関する特別措置法」)が成立の運びとなりました※。法律の成立自体は喜ばしいことではありますが、抑留者の方々およびご家族の方々のご苦労を思うと、これほどまでに時間がかかったことに対し、本当に申し訳なく思っています。

さらなる真相究明を

「シベリア特別措置法」は、戦後、ソ連によってシベリアに強制抑留された方々の調査や遺骨収集体制の整備、次世代への継承なども盛り込んだ総合的かつ未来志向の法律です。今後は、法律に規定される通り、いまだ確定されていない抑留中の死亡者数の究明、遺骨や関係資料の収集を早急に進める必要があります。また、台湾・朝鮮半島出身者の強制抑留者の存在も含め、シベリア抑留全体の実態の解明、真相の究明を行うことが必要です。

さらに、ロシアから提供された登録カードの処理も含めて、政府が迅速かつ効率的に行い、単に死亡者を確定するためだけでなく、強制抑留被害の全容を記録・把握できるようデータを公表・公開し、ロシア始め関係国の民間の専門家の参加と協力も得て、広範に情報と資料を収集、解析して、この前代未聞の大拉致事件について将来的にも国際的にも正確で客観的な評価が下せるよう、国が責任をもって取り組むことを実現させるため、引き続き力を尽くしてまいります。

※2010年5月21日 参議院本会議で可決
※2010年6月16日 衆議院本会議で可決・成立。