
氏名:円 より子(まどか よりこ)
略歴
神奈川県横須賀市生まれ。津田塾大学英文科卒業後、ジャパンタイムズ編集局勤務を経て、フリージャーナリスト・作家。女性と家族の問題 に関する著作30冊以上。テレビ番組のレギュラー/ゲスト・コメンテイターとして幅広い支持を得た。
1992年、日本新党設立に際し、細川護熙代表(当時)から要請を受け参院選に出馬、翌年繰り上げ当選。
前参議院議員(参議院全国比例区3回当選)。民主党副代表、民主党「次の内閣」財務大臣、参議院財政金融委員会委員長などを歴任。
現在も、「女性のための政治スクール」、「ハンド・イン・ハンドの会」(母子家庭の母親の支援ネットワーク)代表、「離婚110番」などのボランティア活動を続ける。
円より子の政治歴
| 平成4年 | ・日本新党から参議院選に出馬。 ・日本新党広報副委員長(機関誌コムネット編集長兼務)。 |
|---|---|
| 平成5年 | ・日本新党組織委員長に就任。衆院選では選対本部長を務める。 日本新党公認35人の議員が当選。 ・「女性のための政治スクール」開校。 事務局長として、女性の政治参画に尽力。 ・7月参議院議員に繰り上げ当選。 |
| 平成10年 | ・日本新党解党後、元総理細川護煕氏と常に行動を共にし、 新進党、民政党を経て、民主党に参画。 ・7月、二期目の当選。 |
| 平成11年 | ・通常国会本会議で、与党による「盗聴法」強行採決に抗議し、参院史上初の3時間に及ぶ大演説を行う。 |
| 平成15年 | ・民主党(菅直人代表)にて副代表を努める。 財政金融委員会理事、予算委員会委員、国民生活調査会委員。 |
| 平成16年 | ・ 自由党と合併した民主党で副代表に留任。 財政金融委員会理事・委員長、国家基本政策委員会監事。 ・民主党「次の内閣」ネクスト国家公安委員長。防災担当大臣。 |
| 平成17年 | ・厚生労働委員会筆頭理事。 ・民主党参議院副会長 |
| 平成18年 | ・民主党副代表、民主党東京都連会長 |
| 平成20年 | ・民主党東京都連常任顧問 |
| 平成21年 | ・参議院財政金融委員筆頭理事・戦後強制抑留者問題解決促進議員連盟会長 |
経歴
| 昭和22年2月 | 神奈川県生まれ、2歳で大阪へ |
|---|---|
| 昭和34年3月 | 大阪府八尾市立八尾小学校卒業 |
| 昭和37年3月 | 香川県高松市立紫雲中学校卒業 |
| 昭和37年4月 | 香川県立高松高校入学 |
| 昭和37年9月 | 香川県立高松高校転出 |
| 昭和37年9月 | 東京都立大泉高校編入 |
| 昭和40年3月 | 東京都立大泉高校卒業 |
| 昭和44年3月 | 津田塾大学英文科卒業 |
| 昭和44年4月 | ジャパンタイムズ入社 |
| 昭和47年6月 | 同退社 |
| 昭和47年6月〜 | フリージャーナリストとして活動(女性や家族、高齢者問題等の取材調査のため北欧諸国などを歴訪) |
| 昭和54年3月〜 | ニコニコ離婚講座主宰、評論家、作家活動開始 |
| 昭和56年1月〜 | 会報「ハンド・イン・ハンド」発刊 ハンド・イン・ハンドの会主宰 |
| 昭和58年5月〜 | 現代家族問題研究所代表 |
| 昭和59年6月〜 | ボランティアの電話相談「離婚110番」主宰 多数のテレビ番組でレギュラー、コメンテーターとして活躍 |
| 平成4年5月〜 | (株)現代家族問題研究所代表取締役 |
その他経歴
| 平成5年〜 | 女性のための政治スクール事務局長 |
|---|---|
| 平成18年〜 | 女性のための政治スクール校長 |
| 平成11年 | 日本ユネスコ国内委員会委員 |
円より子の横顔
| 趣味 | 読書・囲碁・スキー・テニス |
|---|---|
| 座右の銘 | 平和なくして平等なし。正しきものは強くあれ。 |
| 好きな言葉 | 無私 |
| 血液型 | A型 |
| 愛読書 | アン・モロウ・リンドバーグ『海からの贈り物』 |
| 同居人 | ペチャ:猫 平成9(1997)年生まれ |
| 得意分野 | 女性政策・家族法・少子高齢化問題・人権問題・経済とくらし |
| 重点政策分野 | 財政金融・女性人権問題・外交防衛 |
| 抱負 | 情報の公開、開かれた国会、人々の意志が生きる政治、そして多様な価値観と生き方を阻む法や制度の改革を目指して、コツコツ地道に働きます。 |
主な著書
『主婦症候群』(ちくま文庫)~1988年
『妻たちの静かな反乱』(ちくま文庫)~1990年
『夫、あぶない』(ちくま文庫)~1991年
『ターニングポイント』(新潮社)~1991年
『40歳からの夫と妻の向き合い方』(大和書房)~1992年
『夫と妻がもっとわかりあうために』(大和書房)~1993年
『ママの離婚』(ちくま文庫)~1995年
『子育てが終わった夫婦のための本』(大和書房)~1996年
『どういう子に育てたいですか』(主婦と生活社)~1998年
『夫婦が離婚する理由、しない理由』(大和書房)~1999年
『一人でも変えられる』(日本評論社)~2004年
『30代は二度こない 子どもとキャリアどちらもほしい』(ミネルヴァ書房)~2005年
『女と通貨と政治文化─失われた20年をこえて』(第一法規) 2010年 など
円より子の活動と目指すもの
私が参議院議員になったのは1993年7月でした。
■「ニコニコ離婚講座」を通じて
私はそれまで、ジャーナリストとして働いていましたが、女性が離婚すると年齢制限があって再就職口もなく、慰謝料や財産分与ももらえず母子で路頭に迷うような現状や、男性がエコノミックアニマルと呼ばれ、家庭や地域での暮らしを犠牲にしてまで働く社会に違和感を持ち、1979年から「ニコニコ離婚講座」「離婚110番」といったボランティア活動を始め、3万人もの人々の相談を受けてきました。「ルックルックこんにちは」や「こんにちは2時」などのテレビ番組に出演していたのもその頃でした。
戦後、日本は著しい経済発展を遂げ、先進国の仲間入りをしたとはいえ、母子家庭の母親は子どもを抱えたまま、離婚に対する社会の偏見に苦しみ、安定した仕事にも就けず、病気の子どもを一人寝かせたまま働きに出ざるをえないなど、苦しい状況に取り残されてきました。そうした母子家庭の支援を続ける中で、経済・雇用や住宅政策がいかに人々の生活を左右するか痛感するようになりました。
■細川護熙氏に誘われ日本新党へ
そうした中、「生活者主権」を掲げる日本新党が細川護熙元総理によって立ち上げられました。政治が、母子家庭など社会に取り残された人たちにも希望の光を当ててくれる可能性が出てきたことに、私は心が躍りました。その細川護熙氏の誘いを受け、1992年の日本新党の結党に参加することになったのが私の政治家としてのスタートでした。
女性や子どもを初めとして、誰もが暮らしやすい社会を実現するためには、単に子ども手当や生活保護などの社会保障を充実させればよいわけではありません。グローバリゼーションが進む世界経済の中で日本経済全体の活力を維持する中で、国民一人一人の生活水準も向上し、政府が充実した社会保障を実施する財源も生まれ、高齢者の介護や安心の医療、母子家庭を初めとする社会的な弱者を助ける社会を作ることが可能なのです。
■日本経済のバブル崩壊と「失われた20年」からの復活へ
しかし、私が参議院議員になったのは1993年、バブル経済が崩壊し、日本経済が停滞し始めた頃でした。日本は対米貿易黒字削減のために、1985年のプラザ合意によって大幅な円高・ドル安を受け入れ、その結果、輸出が急速に減少して不況に陥ったために、1990年代に入るまで金融緩和(低金利)政策を続け、株式や不動産が高騰するバブル経済を生んでしまいました。そして、バブルが崩壊すると、金融機関も一般の企業も、巨額の不良債権を抱え、新しい投資や資金の融資ができなくなって、倒産や失業が相次ぎました。
私は参議院議員になってからは財政金融委員会に所属し、抜本的な不良債権の処理によって、新しい投資や資金の融資ができる企業の体質を回復すること、規制緩和や貿易・投資の自由化によって新しい産業への転換を進めること、財源も含めた地方分権によって地域の主体性を活かした社会・経済の発展を進めることなどを訴えてきました。しかし、旧来の体質を改革できない自民党政権によって、場当たり的な経済対策が繰り返され、経済は回復せず、政府の借金だけが積み上がっていきました。給料は増えず、失敗してもやり直しができず、大学を卒業しても安定した仕事に就けず、格差が拡大して自殺者数は年間3万人に達しました。
■政権交代で新しい活力ある日本を
そうした危機的な状況に、さすがの自民党も国民の信頼を失い、有権者が民主党による政権交代を選択したのが、2009年の総選挙でした。
もっと自由にアイデアや活力を生かせる社会、不毛な教育から脱却して高度な知識経済を支える人材を育てる教育を実現し、諸外国との経済的・人的往来を促進して、アジアや新興国の成長力も取り込みながら、国民が豊かさを感じられる経済を実現しなければなりません。そのために、先進国中最低の女性の社会参画を、国会議員のクオータ制(女性候補者数を一定割合以上に義務付ける制度)などによって大胆に進めることも必要です。経済が成長すれば、財政も再建でき、金融政策も正常化できます。個人金融資産を1400兆円も保有しながら、バブル崩壊後、長期間にわたるゼロ金利のおかげで、預金に金利もつかなかった人たちも、金利収入が得られるようになれば、老後の生活にも余裕が持てます。
■安心して子どもを産み育てられる社会を
その上で、私が長く取り組んできた、安心してお産ができる社会づくりも前進させたいと思います。子どもを持ちたいと願う人が、子どもを産みやすい社会を作るために、もっと色々な工夫ができると思うのです。例えば、妊婦さんが助産師さんと生活や健康の状況を相談しながら、信頼関係を構築して不安の少ないお産を手助けすること。先進国ではあってはならない、妊婦のたらい回しを回避するために、産科医の養成や産科・助産施設にもっと大胆な予算を投入したり、リスクの高い出産や緊急時に対応できる病院の受け入れ態勢を整備することなどを、参議院厚生労働員会などの場で訴えてきました。
■在宅就労で母子家庭も誰でもワークライフバランスを
ひとり親家庭の親が、小さな子どもを抱えながらでも働けるように、在宅就労の仕組みを広める活動にも、今後一層力を入れたいと思います。企業がもっと場所や時間にとらわれない柔軟な働き方を推進したり、中心市街地の空き店舗を活用して、老人介護施設や保育園を併設して、職住接近と世代を超えた共生が可能な住環境を実現することも考えています。私は既にNPOを通じて、母子家庭の母親1000人近くが参加するITを使った在宅就労支援を行っています。こうした仕組みは、母子家庭だけでなく、より人間的なライフスタイルを求める、全ての人たちが利用することができるのです。そして、在宅就業システムを社会に導入することで、省エネで環境に優しい、人間中心型のライフスタイルが実現するのです。
このように、様々な工夫を積み重ねて経済成長を実現し、セーフティ・ネットを充実させる。そして、誰もが能力に応じて働き、子どもを安心して産み育て、家族や生活を大切にしながら、将来に希望を持って生きられる社会を作る。そのために私は活動しています。


















